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2012年08月27日(月)更新

ちゃんこ鍋を食べたら、トントン相撲

「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
8月ももうすぐ終わりというのに連日真夏のような暑さが続いています。

しかし、この暑さの中で、すでにお歳暮商戦が始まっています。
といっても消費者向けではなく、通販会社の新商品選定の話です。
 
弊社のお取り引きに「巴潟」という東京・両国にあるちゃんこ料理店があります。
2年前からブランディングのお手伝いをしてきました。

そのプロジェクトのひとつに「ちゃんこ鍋の通販商品」のパッケージリニューアルがありました。



 その新パッケージの商品がすでに通販会社のお歳暮商材として動き出しているのですが、
今回はパッケージにちょっとした工夫を加えました。

これがなかなか好評のようで、ちょっとほっとしています。
 
写真が通販商品のパッケージですが、
箱にかかっている上紙を外しますと、これが相撲の土俵になるのです。



箱の中には相撲の力士のイラストが印刷された紙が入っており、
ハサミで切りだすとトントン相撲ができるという仕掛け。


 
家族や友人と「巴潟」のちゃんこ鍋を食べた後に、
トントン相撲を楽しんでもらえたらということで作りました。
 
食事の楽しさは食材そのもののおいしさであることは否定しませんが、
その時の雰囲気や演出も大きく影響します。
 
トントン相撲がおいしいちゃんこ鍋を囲んだ人たちの笑顔につながればいいなあと思っています。


ちゃんこ「巴潟」のちゃんこ鍋は絶品!お店でも通販でもぜひご堪能ください。
ちゃんこ「巴潟」→http://www.tomoegata.com/

2012年08月23日(木)更新

やっぱり「好奇心」が大事だね

 「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
フランス映画で「好奇心」という作品がありました。
監督は巨匠「ルイ・マル」、公開は1971年。確か学生の時に映画館で観た記憶があります。

15歳の少年が母親を一人の女性として好きになってしまうというちょっとした問題作でした。
どうも「ルイ・マル」の自伝的要素が強いようです。



 

今回のブログはこの映画の話ではなく、タイトルの「好奇心」のことです。

多くの経営者とお会いして感じることは、好奇心が高い経営者は積極的だということです。
新しいことを知ろう、やろうという気持ちがすごく強い。
 
正解がない時代だと感じます。それに変化のスピードは速く、
今日の解が明日も通用するという保証もありません。

過去の成功の正解をいつまでも守っていても、
いまの消費者が求めていることとずれていれば、その努力は空回りするだけです。
 
他の成功事例を真似ればうまくいくという考え方も通用しませんね。
大事なのは、その成功事例の「肝」をつかまえられるかどうかです。

「肝」がつかまえられれば、自社で展開するにはどうしたらいいのかが見えてきます。
 
蚤のサーカスの話をご存じだと思います。
蚤を背の低い箱に閉じ込め、ジャンプするとぶつかるようにすると、
やがて蚤はその箱の高さ以上には跳び出さなくなります。
それから芸を仕込むのだそうです。
 
人間も同じですね。

いつも同じ土俵で生活や仕事をしていると、当然行動や考え方が硬直化してきます。
「これはこういうものだ」というように、思考回路が自動化してくると要注意です。

「好奇心」は新しい着眼点を生み出します。

「好奇心」により生み出された着眼点は、課題を解決したいという強い思いと結びつき、
化学反応を起こし、改善や改革のヒントを発見することができます。

2012年08月20日(月)更新

山梨が生んだ漂白の歌人「山崎方代(やまざきほうだい)」

 「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
山梨の実家にお盆で帰省したときに、弟夫婦といっしょに富士本栖湖に行きました。
車で移動中にふと見ると「右左口(うばぐち)」という標識が目に入りました。

「右左口」?・・・記憶の奥にその名前が残っていました。しばらくして「ああそうか」と思い出しました。
 
「右左口」は山梨県出身の歌人「山崎方代(やまざきほうだい)」の出身地です。
「山崎方代をご存知の方は多くはないと思いますが、
「山頭火」、「尾崎放哉」につながる漂白の歌人です。



 

「山崎方代」は1914年(大正3年に)に山梨県東八代郡右左口村(現甲府市)の貧農に生まれました。
8人兄弟姉妹の末っ子に生まれた「方代」の名前は、
長女と五女以外の子供を亡くした両親が「生き放題、死に放題」という思いから付けたものだそうです。
 
尋常小学校を卒業した「方代」は家業の手伝いながら、
その頃村で盛んだった俳句と短歌に魅かれ、自分でも歌を作り始めます。

1941年(昭和16年)に召集され、翌年チモール島クーパンの戦闘で砲弾の破片を浴びて
右眼は失明、左眼も視力0.01になってしまいました。
 
1946年(昭和21年)に病院船で復員。
「砲弾の破片のうずくこめかみに土瓶の尻をのせて冷せり」と読んだ「方代」は、
「兵隊にとられ、戦争に引っぱっていかれた七年の間に心の底から笑ったことはただの一度もなかった。
軍隊生活は地獄の苦しみだ」と記しています。
 
病院での治療を終えた「方代」は、傷痍軍人の職業訓練で習った靴の修理をして
各地を放浪しながら創作活動を続けました。

定職を持たない放浪の身でありながらも歌誌に投稿し続け、
1955年(昭和30年)に41歳にして念願の第一歌集「方代」を自費出版します。
 
しかし、歌壇の反応はまったくありませんでした。

1965年(昭和40年)、ただ一人の肉親であった姉の「くま」が死去。
天涯孤独の身となった「方代」はアパートの留守番や農作業の手伝いをして
糊口を得ながら、貧困の中で創作活動を続けました。
 
やがて、1973年(昭和47年)に鶴岡八幡宮前にある鎌倉飯店の店主が、
鎌倉市手広の自宅に六畳一間の家を建て「方代」を迎え入れます。

ようやく安住の地を得た「方代」はここを「方代艸庵(そうあん)」名づけ、
ここを生涯の住処として創作活動を続けました。

1975年(昭和49年)9月号掲載「めし」で第一回短歌愛読者賞受賞し、
1978年(昭和52年)に歌集「右左口」を刊行。
これにより60歳を過ぎてようやく「方代」の歌は世に知られるようになったのです。
 
1985年(昭和60年)8月19日、肺がんによる心不全のため死去。71歳の人生でした。

特定の結社に属さず、身近な題材を口語短歌で詠んだ作品は
どれも素直でわかりやすいのですが、深い悲しみに満ちています。

いくつか個人的に心に残る「山崎方代」の作品をご紹介いたします。


人生を覗いてみると面白い死んでしまえばそれっきりなり

片付けておかねばならぬそれもまたみんな忘れて呑んでしもうた

地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つ持つべし

丘の上を白いちょうちょうが何かしら手渡すために越えてゆきたり

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

茶碗の底に梅干しの種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ

私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう

こんなところに釘が一本打たれていていじればほとりと落ちてしもうた 

なるようになってしもうたようであるが穴がせまくて引き返せない

ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村

 

2012年08月19日(日)更新

「付和雷同」・・・不安定な天候が教えてくれたこと

「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
このところ天候が不安定ですね。

昨日もそうでしたが、今日もお昼ごろから雷がごろごろと鳴り、
あっという間にすごい土砂降りとなりました。



※画像は気象庁のサイトからお借りしました。

雷がごろごろと鳴るのを聞いているうちに「付和雷同」という言葉を思い出しました。
 
「付和雷同」はよく「不和雷同」と間違って書かれることがありますが、正しくは「付和雷同」。

何となく意味はわかるのですが、何で「雷同」なのか?
いまひとつピンと来ません。そこでインターネットで調べると、これがなかなかおもしろいのです。
 
ネットの辞書には「自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること」と書かれていました。

つまり、自分の意見を持たずに、すぐに人の意見に賛同して、簡単に乗っかってしまうことを指します。
要するに自分の意見がないということですね。
 
肝心の気になる「雷同」という言葉。
これは雷が鳴るとその雷鳴が山や谷に鳴り響き、こだまが返えることの意味のようです。

一昨日がそうでしたが、稲妻がピカっと光り、雷がごろごろと鳴ると、
それに応じて部屋の中もガタガタと鳴ったような感じになります。
 
「雷同」は雷の音に周りのものも共鳴する現象のことだったんですね。

そういわれてみると確かにいますね。

誰かが何かいうと、すぐにあいづちを打ち、「そうですね」って安易に賛同する人。
周囲はまたかと思うのですが、本人はそのことには気がついていません。
 
経営者でも他の成功事例やノウハウばかりを気にするタイプの方がいます。
売れているものを追いかける経営者に多いですね。

悪気(むしろ自慢げに見えるときがあります・・・)はないのですが、
こういうタイプの経営者は実にものまね上手です。
 
しかし、その多くは単なる安易な模倣にしかすぎず、
残念ながら成果にはつながらないことの方が多いのです。

「付和雷同」・・・「自分の考えを持って物事に当たること」の大事さを
夏の日の雷と土砂降りが教えてくれました。
 
 

2012年08月18日(土)更新

努力に逃げて成果に甘い!

「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
3日間ゆっくりと夏季休暇を取り、今日は久しぶりに仕事をしました。
そこで感じた「仕事をしているつもりで実は作業をやっている人が多いね」ってことを書きます。


 
大事なのはお客様に感動を提供し喜んでもらうことなのに、
目の前の雑務に追われてばかりいる人がいます。

そういう人に限って口癖は時間がない・・・。
いつもばたばたしている。常に余裕がない毎日を送っています。
 
嫌ないい方になるのを承知でいいますと、
「努力に逃げて成果に甘い」のが作業に終わられるタイプな様な気がします。

一生懸命やっているけれども、実は安楽な作業をしているだけなのです。そこに工夫がありません。
 
いま撲滅しなければならないのは、作業の時間。
大事なのは作業の時間を減らし、お客様に向かう時間を増やすことです。

じっくりと自分を見つめ、お客様と向かい合う時間を増やさないとやっぱりファンは生まれません。
 
作業時間を撲滅するには「同じことは徹底的にルール化する」ことです。

例えば、出張に行く時には何を持っていけばいいのか?
それが、一泊二日であればシャツは何枚必要なのか?靴下は何枚くらい持っていけばいいの?
洗面用具は何が必要になるのか?・・・。
 
こういうことが決めてあるかどうかで作業の能率ってすごく違ってきます。
これは何も出張だけのことではありません。

仕事をよく見ると、同じことを何度も繰り返している個人や会社があります。
つまり、基本業務がルール化されていないんだなあ。
 
よくいわれるように一人ひとりに与えられた時間は誰も同じです。

それの使い方によって仕事のクオリティは大きく変わってきます。つくづく思うのですが、
同じことを誰がやっても同じようなレベルとコストと時間でやれるのが本当の仕組みです。
 
といいながら、僕の今日一日を振り返ってみると作業に関わる時間が結構ありました。
誰かにやってもらえばいいということではなくて、やはり仕事のルール化、仕組み化ですね。
 
自分では気が付かないけどあらためてこれまでやっていたことを見直しすると、
作業の無駄が山ほどあります。これの撲滅に真剣に取り組もうと思いました。
 

2012年08月15日(水)更新

「3+4=□」という算数と「□+□=7」という算数

 「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
オーストラリア出身の哲学者で教育学者のルドルフ・シュタイナーという人がいました。
詳しいことは知りませんが、18世紀から19世紀にかけて活躍した人のようです。



 

とくに教育の世界ではいまでもシュタイナーの意思を受け継ぐ
「シュタイナー」「ヴァルドルフ」という名前を冠せられたフリースクールが
ヨーロッパを中心に世界におよそ1000以上存在し、根強い人気を誇っているのだそうです。
 
物事には必ず賛否両論があるのでシュタイナー教育もいろいろな見方や評価をされているようです。
シュタイナーは神秘学も研究した人ですのでその影響もあるのかもしれません。
 
シュタイナー教育については詳しくはないのですが、
「なるほどそういう考え方もあるなあ」と思ったことがひとつあります。

それは算数のことです。
 
僕たちが小学校で学んだ算数の授業を思い出してください。
「3+4=□」「8-2=□」といったような問題が出ましたよね。

答えは必ずひとつでした。

「3+4」の答えは必ず「7」でなければ正解ではなく、テストでは×になってしまいました。
 
ところがシュタイナー学校ではこんな問題が出るのだそうです。
「□+□=7」「□-□=2」いったような問題です。

つまり、答えはいくつも考えらえるのです。

「7」であるためには「2+5」でも「6+1」でも「3+4」でも○なのです。
 
かつて日本にはキャッチアップする事例がありました。
そのひとつは先進国といわれた欧米でした。

しかし、低成長経済、成熟消費、少子高齢化社会に突入したいまはお手本がありません。

誰にでも共通するような答えはもはやないのです。
 
誰かのやり方を真似すれば何とかなる時代ではなくなりました。
しかも、昨日の正解が今日も正解である保証はどこにもありません。
 
いまは目指すところは同じであっても、そこにたどり着く方法は様々なのです。
答えがひとつだけではなく、答えがいくつもあるということはすごく大事なこと。

人の真似をして一喜一憂するのではなく、自分の信じるところを自分で切り開いていく時代なのです。
 
これをチャンスと見るか、ピンチと見るかで世の中の風景はまったく違ってきますね。

2012年08月10日(金)更新

“モウカル”、“タスカル”………ふたつのアイディアの視点

「人々が幸せになるブランド」をプロデュースするクエストリーの櫻田です。

新しいメンバーを採用する必要があり、このところ応募書類に目を通したり面接を行っています。
正直いって30分程度の面接ではわかりません。
採用の判断はいろいろとあると思います。

能力の高さや人間性の素晴らしさはもちろんことですが、
「何かもうひとつ大事なものがあるような」と感じていた時に思い出したが、
コピーライターの「眞木準」さんです。













眞木さんは残念ながら、2009年6月22日に60歳の若さで亡くなられたました。
お会いしたことはありませでしたが、そのコピーは覚えています。
 
全日空「でっかいどお。北海道」、サントリー「あんたも発展途上人」、TDKテープ「イマ人を刺激する」、
伊勢丹「恋を何年、休んでますか。」など、時代の雰囲気を表した洒脱なコピーを書かれた方です。
僕も影響を受けた一人です。
 
「カンビールの空カンと破れた恋は、お近くの屑かごへ」も眞木さんでした。
そういえば週刊誌の「AERA」や商業施設の「PARCO」も眞木さんのネーミングです。

その眞木さんの著書に「ひとつ上のアイディア。」(インプレス)という本があります。
 
クリエーター20人のアイディアづくりの技術、ノウハウ、経験、哲学を取材して編集した本です。
本のイントロダクションに、アイディアに対する眞木さんの思いが書かれています。

眞木さんは、アイディアは日常の中にたくさんあり、
アイディアにかかわらない人はまずいないといい、続けてこんな一文を寄せています。
 

「ビジネスでもてはやされているアイディア、
つまり高い対価を支払ってでも求められるアイディアとなれば、若干の条件がつく。
それは“モウカル”ことだ。
いまビジネスシーンで注目されているアイディアといえば(中略)、すべて“モウカル”、
あるいは“モウカル”可能性が感じられるものばかりだ。」
 
「“モウカル”アイディアを持っている人が本を出せばベストセラーとなり、
セミナーには参加者が長蛇の列をなす。
だが、私は“モウカル”のは結果だと思っている。
アイディアの純粋な目的は、あくまでも“タスカル”ことにあるのではないだろうか。」
 
「例えば、夜にロウソクやランプの光の下で本を開いて読むのは、
光量も十分ではなく、ときには炎の揺らめきも起きるだろうから、あまり適当な環境とはいえない。
この状況を改善したのは電球というアイディアだが、これは“モウカル”ために考え出されたものではない。
やはり“タスカル”ために考案されたアイディアだ。」
 
「アイディアはこの“タスカル”を実現するために考え出される。
そして“タスカル”ものは、広く求められるところとなり、結果として“モウカル”のである」



もちろん“モウカル”ことは大事なことです。
しかし、“モウカル”を実現するには、“タスカル”視点が不可欠なのです。

眞木さんが書かれているように、“タスカル”ものは、広く求められるところとなり、
結果として“モウカル”のです。

僕たちがいっしょに働きたいのは「タスカル」という発想ができ、
結果として「モウカル」ことを実現できる人です。


クエストリーでいっしょに働きたい若い方、いませんか?
 
 

2012年08月07日(火)更新

「見える!」・・・これってやっぱり力です

 「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
お取引先を訪問した時に、店内はきれいなのにバックヤードや事務所に入ると
ぐちゃぐちゃってことが結構あります。

書類は山積み、備品が散乱、不要なパッケージもあれこれ・・・。

そんな時にお勧めするのが、汚れているところを写真に撮って貼り出すこと。
 
きれいに片付いたところから剥がしていくのですが、
「汚れている」という抽象的な感覚で物事をとらえると人によって温度差が出ますね。

要はこの程度は汚れているうちに入らないということです。
写真は根本的な対策ではないのですが、基準を揃えるのに向いています。
 
よくいう「見える化」ですが、目に見えるようにすると印象が大きく違います。

順番に写真が剥がされていくと、まだ片付いていないところが気になるのも人の心理。
不思議なもので、全部剥がそうという達成感も生まれてきます。
 
ちなみにバックヤードがきれいになると、仕事の質が上がります。
中途半端に売場に費用を投じるならば、バックヤードをリニューアルした方がいいね。

それと、社員の休憩室がひどすぎるケースも目立ちます。
ここも快適にするとバックヤード同様に質が高まります。

 
写真でもそれなりの効果があると思っていたら、もっとすごいのがありました。
これは「ユニークなバス停広告23選」というサイトにあったもの。


 
「Rubbish Since Monday(月曜日からの廃物)」とタイトルが付いたこの取り組みは、
バス停付近で落とされたゴミを、週の始めの月曜日から蓄積して見せるというクリエイティブ。

「目に見える」ということを大胆にやった取り組みですね。
バス停は毎日利用するだけにインパクトがあります。

こういうのを見ると「クリエイティブの力」を感じます。
 
世界のユニークなバス停広告23選→http://blogtimes.jp/blog/2011/08/10152.html
 

2012年08月06日(月)更新

気持ちが楽になる言葉・・・「So What」

「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
ジャズの帝王「マイルス・デイビス」が作曲した名曲のひとつに「So What」があります。
1959年のアルバム「Kind of Blue」の1曲目に入っていますね。



「マイルス」は1926年生まれですので、
このアルバムを発表した時は33才ですが、すでに帝王の片鱗を感じさせます。
 
ジャズに興味のない方にとってはどうでもいい話かもしれませんが、
「Kind of Blue」の「So What」はまるで会話を交わしているような演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=DEC8nqT6Rrk

「ビル・エバンス」のピアノと「ポール・チェンバース」のベースのひそひそささやくような演奏で始まります。
 
そこに「マイルス」のトランペットが「それがどうしたんだ」とクールに加わります。

さらに、サックスの「ジョン・コルトレーン」と「キャノンボール・アドレイ」が参加して、意見を言い始めます。

最後は「やっぱりどうってことないな」とつぶやくように終わる。・・・こんな感じですね。
 

ジャズの話は別として、英語で「So What」はよく使われます。

日本語に訳すと、微妙なニュアンスがありますが、
「誰も気にしないさ」「どうでもいいじゃない」「それがどうした?」といった感じでしょうか。

状況に応じては突き放したような「だから何なの?」という強いニュアンスになるかもしれません。
 
経営は迷いの連続といってもいいかもしれません。
わかっていても、周りの条件や環境のせいにしたくなります。

自分には向いていないと思ってもおいしい話にはどうしても心が動きます。
自分に対する批判的な情報には気持ちが折れそうになりますよね。
 

そんな時にちょっとつぶやいてみてください。

「So What」・・・「誰も気にしないさ」「どうでもいいじゃない」「それがどうした?」

ちょっとだけ気持ちが楽になると思いますよ。

できれば「やっぱり自分の道はこれだよな」というぶれないことの確認も忘れずにね。
 
ちなみに「So What」は「マイルス・デイビス」の口癖だったようです。
帝王といわれた男にも迷うときがたくさんあったんだろうなあ。
 

2012年08月02日(木)更新

「金子みすゞ」と「ブランディング」

「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。



 

もう10年近く、月の初めにハガキをくれる知り合いがいます。

その時々に感じたことや気になる言葉が書かれているのですが、
昨日届いたはがきには「金子みすゞ(かねこ みすず)」の詩が書かれていました。
 
ご存知の方も多いと思いますが、「私と小鳥と鈴と」という詩です。
あらためて読んでみると心に響きますね。
 
「違い」や「強み」はブランディグでは重要な要素ですが、
ライバルに勝つための「違い」や「強み」ではなく、この詩のように
「みんなちがって、みんないい」・・・これがブランディングのバックボーンです。

 
私と小鳥と鈴と」
 
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
 
私がからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんの唄は知らないよ。
 
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


 
こういうとちょっと変な見方と思われるかもしれませんが、
「私と小鳥と鈴と」だけではなく、「金子みすゞ」の詩には
ブランディングにつながることがたくさん書かれているように感じます。
 
例えば、「土」という詩にもそれを感じます。
一つひとつの道に役割があるように、一つひとつの店や会社に「ミッション」があるのだと思います。
 

「土」
 
こッつん こッつん
ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦生むよ。

朝からばんまで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ。

ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か。

いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ。

 
 

会社概要

(株)クエストリーは2003年に「店がブランドになる」ことを支援・プロデュースするために設立されました。「店がブランドになる」ためのプロセスをわかりやすく整理し、具体的な成果につながるコンサルティング、プロデュース、クリエイティブを展開しています。代表取締役の櫻田弘文は、これまでに300社以上...

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個人プロフィール

1955年生まれ、自然豊かな山梨県南アルプス市で育つ。高校卒業後、大学に進むが、学業には目を向けず、芝居に夢中になる日々を過ごす。大学卒業後、広告・マーケティング会社に入社。5年区切りで、コピーライティング、広告プランニング、マーケティング、店舗開発、マネージメント指導などの業務を経験する。2...

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