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2012年08月15日(水)更新

「3+4=□」という算数と「□+□=7」という算数

 「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
オーストラリア出身の哲学者で教育学者のルドルフ・シュタイナーという人がいました。
詳しいことは知りませんが、18世紀から19世紀にかけて活躍した人のようです。



 

とくに教育の世界ではいまでもシュタイナーの意思を受け継ぐ
「シュタイナー」「ヴァルドルフ」という名前を冠せられたフリースクールが
ヨーロッパを中心に世界におよそ1000以上存在し、根強い人気を誇っているのだそうです。
 
物事には必ず賛否両論があるのでシュタイナー教育もいろいろな見方や評価をされているようです。
シュタイナーは神秘学も研究した人ですのでその影響もあるのかもしれません。
 
シュタイナー教育については詳しくはないのですが、
「なるほどそういう考え方もあるなあ」と思ったことがひとつあります。

それは算数のことです。
 
僕たちが小学校で学んだ算数の授業を思い出してください。
「3+4=□」「8-2=□」といったような問題が出ましたよね。

答えは必ずひとつでした。

「3+4」の答えは必ず「7」でなければ正解ではなく、テストでは×になってしまいました。
 
ところがシュタイナー学校ではこんな問題が出るのだそうです。
「□+□=7」「□-□=2」いったような問題です。

つまり、答えはいくつも考えらえるのです。

「7」であるためには「2+5」でも「6+1」でも「3+4」でも○なのです。
 
かつて日本にはキャッチアップする事例がありました。
そのひとつは先進国といわれた欧米でした。

しかし、低成長経済、成熟消費、少子高齢化社会に突入したいまはお手本がありません。

誰にでも共通するような答えはもはやないのです。
 
誰かのやり方を真似すれば何とかなる時代ではなくなりました。
しかも、昨日の正解が今日も正解である保証はどこにもありません。
 
いまは目指すところは同じであっても、そこにたどり着く方法は様々なのです。
答えがひとつだけではなく、答えがいくつもあるということはすごく大事なこと。

人の真似をして一喜一憂するのではなく、自分の信じるところを自分で切り開いていく時代なのです。
 
これをチャンスと見るか、ピンチと見るかで世の中の風景はまったく違ってきますね。

2012年08月10日(金)更新

“モウカル”、“タスカル”………ふたつのアイディアの視点

「人々が幸せになるブランド」をプロデュースするクエストリーの櫻田です。

新しいメンバーを採用する必要があり、このところ応募書類に目を通したり面接を行っています。
正直いって30分程度の面接ではわかりません。
採用の判断はいろいろとあると思います。

能力の高さや人間性の素晴らしさはもちろんことですが、
「何かもうひとつ大事なものがあるような」と感じていた時に思い出したが、
コピーライターの「眞木準」さんです。













眞木さんは残念ながら、2009年6月22日に60歳の若さで亡くなられたました。
お会いしたことはありませでしたが、そのコピーは覚えています。
 
全日空「でっかいどお。北海道」、サントリー「あんたも発展途上人」、TDKテープ「イマ人を刺激する」、
伊勢丹「恋を何年、休んでますか。」など、時代の雰囲気を表した洒脱なコピーを書かれた方です。
僕も影響を受けた一人です。
 
「カンビールの空カンと破れた恋は、お近くの屑かごへ」も眞木さんでした。
そういえば週刊誌の「AERA」や商業施設の「PARCO」も眞木さんのネーミングです。

その眞木さんの著書に「ひとつ上のアイディア。」(インプレス)という本があります。
 
クリエーター20人のアイディアづくりの技術、ノウハウ、経験、哲学を取材して編集した本です。
本のイントロダクションに、アイディアに対する眞木さんの思いが書かれています。

眞木さんは、アイディアは日常の中にたくさんあり、
アイディアにかかわらない人はまずいないといい、続けてこんな一文を寄せています。
 

「ビジネスでもてはやされているアイディア、
つまり高い対価を支払ってでも求められるアイディアとなれば、若干の条件がつく。
それは“モウカル”ことだ。
いまビジネスシーンで注目されているアイディアといえば(中略)、すべて“モウカル”、
あるいは“モウカル”可能性が感じられるものばかりだ。」
 
「“モウカル”アイディアを持っている人が本を出せばベストセラーとなり、
セミナーには参加者が長蛇の列をなす。
だが、私は“モウカル”のは結果だと思っている。
アイディアの純粋な目的は、あくまでも“タスカル”ことにあるのではないだろうか。」
 
「例えば、夜にロウソクやランプの光の下で本を開いて読むのは、
光量も十分ではなく、ときには炎の揺らめきも起きるだろうから、あまり適当な環境とはいえない。
この状況を改善したのは電球というアイディアだが、これは“モウカル”ために考え出されたものではない。
やはり“タスカル”ために考案されたアイディアだ。」
 
「アイディアはこの“タスカル”を実現するために考え出される。
そして“タスカル”ものは、広く求められるところとなり、結果として“モウカル”のである」



もちろん“モウカル”ことは大事なことです。
しかし、“モウカル”を実現するには、“タスカル”視点が不可欠なのです。

眞木さんが書かれているように、“タスカル”ものは、広く求められるところとなり、
結果として“モウカル”のです。

僕たちがいっしょに働きたいのは「タスカル」という発想ができ、
結果として「モウカル」ことを実現できる人です。


クエストリーでいっしょに働きたい若い方、いませんか?
 
 

2012年08月07日(火)更新

「見える!」・・・これってやっぱり力です

 「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
お取引先を訪問した時に、店内はきれいなのにバックヤードや事務所に入ると
ぐちゃぐちゃってことが結構あります。

書類は山積み、備品が散乱、不要なパッケージもあれこれ・・・。

そんな時にお勧めするのが、汚れているところを写真に撮って貼り出すこと。
 
きれいに片付いたところから剥がしていくのですが、
「汚れている」という抽象的な感覚で物事をとらえると人によって温度差が出ますね。

要はこの程度は汚れているうちに入らないということです。
写真は根本的な対策ではないのですが、基準を揃えるのに向いています。
 
よくいう「見える化」ですが、目に見えるようにすると印象が大きく違います。

順番に写真が剥がされていくと、まだ片付いていないところが気になるのも人の心理。
不思議なもので、全部剥がそうという達成感も生まれてきます。
 
ちなみにバックヤードがきれいになると、仕事の質が上がります。
中途半端に売場に費用を投じるならば、バックヤードをリニューアルした方がいいね。

それと、社員の休憩室がひどすぎるケースも目立ちます。
ここも快適にするとバックヤード同様に質が高まります。

 
写真でもそれなりの効果があると思っていたら、もっとすごいのがありました。
これは「ユニークなバス停広告23選」というサイトにあったもの。


 
「Rubbish Since Monday(月曜日からの廃物)」とタイトルが付いたこの取り組みは、
バス停付近で落とされたゴミを、週の始めの月曜日から蓄積して見せるというクリエイティブ。

「目に見える」ということを大胆にやった取り組みですね。
バス停は毎日利用するだけにインパクトがあります。

こういうのを見ると「クリエイティブの力」を感じます。
 
世界のユニークなバス停広告23選→http://blogtimes.jp/blog/2011/08/10152.html
 

2012年08月06日(月)更新

気持ちが楽になる言葉・・・「So What」

「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。
 
ジャズの帝王「マイルス・デイビス」が作曲した名曲のひとつに「So What」があります。
1959年のアルバム「Kind of Blue」の1曲目に入っていますね。



「マイルス」は1926年生まれですので、
このアルバムを発表した時は33才ですが、すでに帝王の片鱗を感じさせます。
 
ジャズに興味のない方にとってはどうでもいい話かもしれませんが、
「Kind of Blue」の「So What」はまるで会話を交わしているような演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=DEC8nqT6Rrk

「ビル・エバンス」のピアノと「ポール・チェンバース」のベースのひそひそささやくような演奏で始まります。
 
そこに「マイルス」のトランペットが「それがどうしたんだ」とクールに加わります。

さらに、サックスの「ジョン・コルトレーン」と「キャノンボール・アドレイ」が参加して、意見を言い始めます。

最後は「やっぱりどうってことないな」とつぶやくように終わる。・・・こんな感じですね。
 

ジャズの話は別として、英語で「So What」はよく使われます。

日本語に訳すと、微妙なニュアンスがありますが、
「誰も気にしないさ」「どうでもいいじゃない」「それがどうした?」といった感じでしょうか。

状況に応じては突き放したような「だから何なの?」という強いニュアンスになるかもしれません。
 
経営は迷いの連続といってもいいかもしれません。
わかっていても、周りの条件や環境のせいにしたくなります。

自分には向いていないと思ってもおいしい話にはどうしても心が動きます。
自分に対する批判的な情報には気持ちが折れそうになりますよね。
 

そんな時にちょっとつぶやいてみてください。

「So What」・・・「誰も気にしないさ」「どうでもいいじゃない」「それがどうした?」

ちょっとだけ気持ちが楽になると思いますよ。

できれば「やっぱり自分の道はこれだよな」というぶれないことの確認も忘れずにね。
 
ちなみに「So What」は「マイルス・デイビス」の口癖だったようです。
帝王といわれた男にも迷うときがたくさんあったんだろうなあ。
 

2012年08月02日(木)更新

「金子みすゞ」と「ブランディング」

「人々が幸せになるブランドをプロデュースする」クエストリーの櫻田です。



 

もう10年近く、月の初めにハガキをくれる知り合いがいます。

その時々に感じたことや気になる言葉が書かれているのですが、
昨日届いたはがきには「金子みすゞ(かねこ みすず)」の詩が書かれていました。
 
ご存知の方も多いと思いますが、「私と小鳥と鈴と」という詩です。
あらためて読んでみると心に響きますね。
 
「違い」や「強み」はブランディグでは重要な要素ですが、
ライバルに勝つための「違い」や「強み」ではなく、この詩のように
「みんなちがって、みんないい」・・・これがブランディングのバックボーンです。

 
私と小鳥と鈴と」
 
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
 
私がからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんの唄は知らないよ。
 
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


 
こういうとちょっと変な見方と思われるかもしれませんが、
「私と小鳥と鈴と」だけではなく、「金子みすゞ」の詩には
ブランディングにつながることがたくさん書かれているように感じます。
 
例えば、「土」という詩にもそれを感じます。
一つひとつの道に役割があるように、一つひとつの店や会社に「ミッション」があるのだと思います。
 

「土」
 
こッつん こッつん
ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦生むよ。

朝からばんまで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ。

ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か。

いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ。

 
 
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